ayan_no0の日記

0番目のあやん 手紙というかたちの日記

番外編 街を歩く4

新社会人になった年、全国に支店のある企業に入社したけと、本社配属になった。

配属式のその日に社宅(として管理している各地のマンションなど)のリストが配られて、好きな場所を選んで決めろと言われた。

 

補助は出るけど、全額ではないので「家賃・通勤時間・広さ・新しさ」などを自分で評価して選んだ。

 

本社まで徒歩で行ける物件もあったけれど、電車で二駅離れた街にある物件を選んだ。

のちにこの選択が、大正解だったと知る。

 

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この街は、都心部にほど近い繁華街の一つで、お世辞にも綺麗な街ではないのだが、古くからの宿場町のムードが強く、きっと力の強い地主がいると思わせるに十分な「古い下町」も残っていた。

 

ここに住んでいたのは、10年前。

2012年。

 

駅は大きくリニューアルされ、大きな駅ビルには手土産のお菓子から洋服まで多くの品揃えがあり、なんとなく暇なときはぶらぶらできるくらいのボリュームがあった。

改札を出る。

駅前には自転車であふれた広場が、銀行、中華料理屋、たこ焼き屋、でっかいドンキホーテに囲まれていた。ここは西口。私鉄の駅の終着点でもあるここには、有名手芸用品専門店の本店があり、その看板はゆっくりと編み物をし続ける。

 

この街で私が贔屓にしていた中華料理店は、日本でも有数の餃子の有名店で、最近めっきりこのお店にはいっていないので、近況が気になっている。

よく、友人を歓迎するときには、遅くまで青島ビールを飲みながら餃子を食べた。

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私は、駅から伸びる通りのうち、北へ伸びる道を選んで歩く。自宅へはここから徒歩20分以上かかるのだ。実家でも最寄り駅と距離があり、徒歩20分にはなれていたが、社会人になり、真冬の残業後徒歩20分、真夏の朝ダッシュ徒歩20分は堪えるものがあった。

北へ伸びる道を行くと大きな学校がある。都心のそれは背の高いビルで、私の通った大学とは全く違う雰囲気だった。この学校の整った芝生や花壇を横目に、少し角を曲がって、それでも北西へと伸びる道を行く。

 

この道中、なぜか「塚」の碑がいくつも目につき、なんとなくいつもそわそわした。地名にも塚という字が入っているので、きっとそういうことだろう。

この辺りには、住所非公開だが(個人邸なので)、西沢立衛の作品がある。実際にはインターネットでちょっと検索すれば、場所がわかるのだが、私は散歩中に偶然遭遇し、とても感動したのを覚えている。

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そのまま道を北西へ進むと、銭湯やスーパー、パン屋が並ぶ。スーパーはこの通りにある店に通っていたので、新社会人の何も食べる気力がない頃、刺身こんにゃくを買い占めさせてもらっていた。

 

私が入社した会社は、ブラック企業と呼ばれる会社で(建設業界はどこもそうですよね・・・)いつも残業をしていた。会社から徒歩圏内に自宅があったら「終電なので帰ります」と言えずに死んでいたかもしれない。配属式の日の自分を褒めたい。

でも、こんな働き方、若さだけではカバーできない。

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週末も、課題があった。仕事のリサーチとデッサン練習。資格試験の勉強もした。

 

好きな人ができた。この人は、私の週末を少しでも楽しくしようとしてくれた。週末のほんの少しの時間、散歩に行った。

通勤では南へ向かうその道を、もっと北へ。その先に桜の名所のお寺があった。

長い石段を登ると、すっかり息があがってくたびれてしまった。でも振り返って自分の登った石段を見下ろすと、達成感があった。

久寿餅(くずもち)を買って帰宅したら、お茶を淹れておやつにした。そのあとは二人でデッサンをした。

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二人は、一緒に暮らせる広い部屋へ、引っ越していった。

二人は、一緒に小さい部屋でおやつを食べた。

二人は、7年越しの再会だった。