ayan_no0の日記

0番目のあやん 手紙というかたちの日記

番外編 フランスのお化けみたいな葡萄畑

今週のお題はてな手帳出し」で日記を書く。

 

お題の意味がわかっていないまま、お題で投稿しようとしている。はてなもほぼ日みたいなヤツあるの??なんとなくはてなってつけただけ?手帳出しはまあ、手帳とか、ネタ帳とかそういう携帯しているメモのようなもののこととして・・・まあ、それはおいておくか。

 

タイトルについて話したい。

私は今、探し物をしていて、それが「大学2年の時に使っていた2冊めのクロッキーブック」なのだが、物自体は、新宿の世界堂で授業に必要なスチレンボードや黒いカッターの刃を買った時に、ついでに買った、A6サイズのものである。特に高品質ではなく、私はできるだけホルダー(設計士の多くが使用している鉛筆の芯がシャーペンのように繰り出される筆記具)の線が強く出るように、ザラザラとした書き味の紙を選ぶようにしていた。あとはなんでもOKだ。

 

建築学科の学生の多くは、アイデアを記録するためにデジカメと(今時はスマートフォンでOKか)クロッキーブックを持っていたかと思う。私は2000年代後半の建築学生だ。ふとした時に使うことももちろん、デッサンの習作がならんだり、単純に課題のためにアイデアを羅列したり。

 

私も多分に漏れずそのような目的でクロッキーブックを持っていた。ちなみに、今回のお題の手帳出しとしては、クロッキーブックとよくある手帳(スケジュール帳)の2冊持ちをしていた。

 

そして、私が大学2年の時に使っていた2冊めのクロッキーブックには、ちょうど私がフランスに行っていたときのデッサンが並んでいるはずなのである。建築学生らしく、建築を見て回る貧乏旅行をしていたのだが、建物のデッサンに混ざって、葡萄畑をスケッチしたことを覚えている。

 

今でも、この時のスケッチを上回る絵をかけたことがないというくらいエモーショナルで、自分で言うのもおこがましいが、これほど上手にかけたものはないという出来だった。デッサンは決して綿密だから上手い、という代物ではなく、そもそもそのデッサンは、トゥールーズへ向かう高速バスの車窓から、たまたま見えた葡萄畑に驚いて急いで筆をとったものだ。

 

私は、葡萄畑といえば日本の涼しい地方の多くで広がる、ぶどう狩りのできる葡萄棚を想像する。その時点で葡萄棚なので、葡萄畑ではないのかもしれないが。つまり、(自分の立ち居位置からは)日陰になったその頭上一面に葉を広げ、一つの幹から長く広がる枝に実る葡萄。これが私のイメージしていた葡萄畑だった。

 

でも、フランスのバスから見た葡萄畑は全く違うものだった。

 

乾いた土地に、整然と並ぶ背の低い枯れ枝のような木。でもその一つ一つはとても太く、しかもどれもが両手を天に広げるかのように、二股に分かれ、左右に広がっている。黒々として、ひとつひとつが同じポーズをとっていて、それでいて、ひとつひとつはほんの少しずつ違う形をしていて、それが丘一面に広がっていた。夕方の田舎町に、信じられないほどの「生き物」を感じた。枯れ枝のよう、とその乾いた印象を表現したけれど、どれもが力強く怖くて恐ろしいものに見えた。私は、怖くてそれをデッサンしたのだ。カメラに収めなかった。

 

この時のことが、あまりに衝撃的で、これまでの人生の中でもエモーショナルすぎていたので、帰国してから幾人にも同じ話をした。その時にデッサンもよく披露していた。言葉で語れば空回ってしまう情景も、デッサンで伝えることができた。そのくらい、鬼気迫る描写であったと思っている。

 

「葡萄畑にたくさんお化けが並んでいるみたいで、とても怖かった」

 

言葉で伝えるには、難しい情景だ。何言っているんだろう、と自分でも目が覚めてしまう。でも、そうじゃない。黒い、力強い、背の低い、異形のものたちが、押し寄せてくるように見えた。

 

私は、そうして一時期、フランスの思い出として、この話ばかりをしていたのだが(いや、同級生にコルビュジェやオペラガルニエの話ししてやれよ)、いつの間にか、そのクロッキーブックを紛失してしまった。

 

時折、今でも人にこの時の「フランスのお化けみたいな葡萄畑」の話をするのだが、笑い話で終わってしまう。

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(あの葡萄畑ではきっとワイン用のぶどうを作っていたのだろう)

静かな風景が、いつもの光景が、こうして人に突如語りかけてくることがある。なんでもないその空間が、人を飲み込むことがある。

 

名画を見る時、時折、「というか、なんでこの【なんでもない】風景書いてるわけ?」と思うことがある(造詣が浅くて申し訳ない)。もちろん解説文を読めば、やれ、作者の生家であり思い出深い場所、だの、妻をなくした町で晩年を過ごした、だの、何かしらの「描くに至ったエピソード」がある。でもそうではないものもたくさんある。

 

それは、きっと、何かに掻き立てられたのだと思う。

 

私は、クロッキーブックを捨てた記憶はない。

でも決して、家が散らかっている方でもない。

どこへ行ってしまったのかわからない。