番外編 皆さんのベストバイ最高です
年末になって、はてブにもたくさんの「今年のベストバイ」投稿があった。
購読させていただいている方々も、たくさん投稿していた。
めっちゃ参考になるし、すぐ真似して購入したものもある。
それに、例えば自分には縁のないものを購入されていたとしても、その人がソレを購入してウキウキとときめいた話しはとても楽しい。
僭越ながら私も今年の良かったものを記録しておく。
ベストバイ、というより「ベストペイ」だが…
カメラ
まあ、まずはカメラだろう。趣味がなくて何か始めようと思い、今年いくつかのことを始めたうちの一つ。
カメラは学生のとき、授業を受けていたりコンペに出たりして馴染みがあったのだが、いつも人に借りたものを使っていた(今思うとウケる)
メーカーの推してるマウントレンズではなくて、使い道をよく考えて自分でレンズを吟味して買った。
サッポロポテトはちみつ南高梅
美味しすぎて、販売されているのを見かける度に買っていた。太るから今年は販売しないで欲しい(嘘です、また食べたいです)
以前、KIRINの世界のキッチンからシリーズのホットワイン(と言う名前ではなかったが)にもハマって、見かける度に買っていた。案外ハマりやすいタイプかも…?
ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密
マッツミケルセン
これベストバイに入れるの変だと思うけど、映画ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密をみて、マッツミケルセンさんにハマりました。これを見たあと彼の作品をいくつか立て続けに見て、春が終わる頃までずっと考えてました、マッツのことを(なんやねん)
むっっっちゃ!かっこいいんすけど!
デルベのハンドクリーム
初夏、京都一人旅に行った時、自分への贈り物として購入。イタリアの香水メーカーのもので、香りがかなり強め。我が家には猫がいるので外出時に使っているが、テクスチャーが思いの外、軽い感じでいつまでもベタベタしないところがよい。
香りのバリエーションが多く、お店で選ぶのに苦労した。また買いに行きたい。
もともと、スプラトゥーン2をかなりやりこんでいて、3の発売直前までずっとやっていたので、当然3も予約購入。
エンジョイ勢で、フレコの交換もボイチャもしておらず一人でナワバリ(ゲーム上のルール)ばかりやっている。塗るのより倒す方が好きです。
フライングタイガーのガラスのポット
家で過ごす時間が長くなり、秋からは温かい飲み物を家で何度かマグカップ一杯分ずつ沸かしていたけれど、これでガツっと沸かした方が楽だな…と思って使い始めた。冬は水分をあまり取らなくなりがちなので、これでたくさん沸かしたお茶を「これを飲み切るくらいは水分取らなきゃダメだぞ〜」と自分に言い聞かせてる。
ロンシャン ルプリアージュグリーンのブラック
ルプリアージュを街中で見るたびに、みんなソレ持ってて見飽きたわい…とか思っていたけど、はてブでいつも拝見している方が「やっぱり原点に戻ってオススメ」みたいに書いておられて、ま〜みんなが持ってるってことは便利ってことよな…と思い、緊急一泊二日旅の前日に買った。ま〜確かに服選ばなくて便利やな〜。
強いオススメの気持ちがないのでリンクなど貼っていませんが、敢えてオススメするとしたら【フライングタイガーのガラスポット】でしょうか。というか、コレを特段オススメというより、でっかいポットで沸かしたお茶の方が美味しいと言うことに気づいたので、たくさんの茶葉で、たくさんのお湯で淹れてください。ものは試しって言うので。
番外編 トーストに海苔の佃煮
という「みんなのお題」の中の一つにレスポンスする。
特段変わった食べ物でもなく、また、結構多くの人がやっていると思うのだが、私はトーストに海苔の佃煮を塗って食べるのが好きだ。
米と合わせるより好きだ。
ご飯ですよ、とか、磯じまん、とかのアレだ。黒いペースト。
理由はない。美味しいから。
この投稿はこれで終わり。
「一度は食べていただきたい海苔の佃煮トースト」
番外編 どうしてお笑いを論じてしまうのか
こんにちは。今回は徒然なるままに日記を書きます。
M-1グランプリを見ました。名前すら聞いたことない人がいるといけないので、書き添えますがM-1グランプリはM(漫才)の1番を決める大会のことで、その決勝戦は先日朝日放送テレビ(テレビ朝日)で放送されたばかりです。
毎年の勝者はその日を境に環境が一変し、多くの仕事のオファーが発生し、一躍時の人となるわけです。最近はそんなに一気にスターダム☆みたいな空気感じませんが。
この大会自体は、秋口から予選が行われ、予選は地上波のTVで放送されないもののその動向を専用サイトなどで見守るファンが年々増えています。
時は遡り、2006年。
私が大学生をしていた頃。
私は、某大学の落研(落語研究会)から派生した「お笑いサークル」に所属していました。その頃は、第二次漫才ブームが去り、サークルのメンバーも30人ほどしかいなかったように感じます(あまり来ない先輩なんかもカウントすると40人くらいにはなるかも?)。インカレサークルなのに、年齢制限ないのに、入会制限もないのに。
メンバーは粒揃いで(お前がいうな、ですが笑)7年生のSさん、すでに事務所に所属して芸人をしていたIさん、M-1の一回戦を突破したKさん、Nさんなど、人数こそ少なかったものの、その他の戦績(プロアマお笑い大会やお笑いライブなど)はそこそこで、他大学と比べてもトップグループだったことは確かだったと思います(大阪芸大のサークルも強かったなあ)。
7年生のSさんに至っては、他大学で同様のお笑いサークルを一人で立ち上げ、規模を拡大させていました。
私はというと、高校生の時に、その大学の文化祭へ行き、客引きをしていた、のちの先輩に
「今、無料ライブをしているので見に来ませんか!?」
と声をかけられたのをきっかけに、どハマりし、早々に受験を終えた後、サークルのHPを毎日のように眺めては、大学生になったら、絶対にここに入るぞ・・・などと妄想していました。
そして、春になり、私はお笑いサークルのスタッフとしてメンバー入りをすることになりました。舞台美術、照明、音響、映像(映像ネタの補助)やHPの管理、ライブ前の立て看づくりなどを行なっていました(ついでに彼氏もできた)。
今ほどではありませんが、お笑い芸人をしている人には、大学の落研出身者が意外と多く、また、大学を卒業して芸人になる人も一定数、昔からいました。例えば、私のサークルは光浦靖子さんなどが所属していた落研から派生して生まれていますし、サークルの創立メンバーがコントグループをしていた同胞として、小島よしおさんがいます。でも私が所属していた頃は、弱小も弱小、テニサーが同じ居酒屋にやってきたら、チリになって消えてしまうような小さなサークルでした。
でも、このサークル今は、数百人のメンバーを抱えるマンモスサークルになったようです。先日NHKに密着されていました。ウケる。
私が卒業した後のメンバーの中には、ひょっこりはんの宮下くん、にゃんこスターのアンゴラ村長佐藤さん、ハナコの岡部くんがいます。すっかり登竜門ぽい出立です。
そんなサークルにいたことも、今は昔。
いつかその時のことを書きたいと思いますが、今回はそんな私がM-1を見た話してす。
思い返せば毎年なんだかんだM-1を見ていて、今年も「鎌倉殿の13人」とどちらをリアタイするか迷いつつ、結局M-1を見ました。
ここまでかなりダラダラと、脈絡なく書きましたが本題です(やっと!笑)
現在のパートナーとはそのサークルで出会いました。
我々はどちらもお笑いを進路に選びませんでしたが、賞レースの動向は各種把握しています(お笑いのコンテストは実にたくさんあるのです、ビッグコンテストだけでもめちゃくちゃたくさんあります)。また、昔のように小さなライブハウスに通うことは無くなりましたが、M-1は3回戦くらいから出場コンビをチェックします。でも、インターネットに(あるいは深夜ラジオリスナーに)多くいる「分析屋」ではないと思います(いや、ラジオにいるってのは偏見ですが笑)。例えば、「このネタで笑うわけにはいかない、なぜならこれは正統派ではないから」などと思うことも思ったこともありません。自分にはそういった類のポリシーはありません。かなりのゲラですし、大概のネタを面白いと感じることができます。テクニック不足や(最低ですが)練習不足にも寛容です。噛み倒しているコンビが一般観覧客に意図しないウケをすることがありますが、それにも寛容です。
むしろ、私は人とお笑いを見て、そのネタに関して「議論しないこと」に意識的になっています。
大学生の時、サークルの活動で最も重要だったのが自主単独ライブですが、その準備として「ネタ見せ」をしていました。面白いことをびっくりするくらい真面目にメンバーで議論し合うのです。ネタ見せとは、あらかじめメンバーにネタを披露してダメ出しをしあうことです。
ネタ見せでいつも思っていたのが、「誰のどのネタも面白いな」ということです。私の沸点が低すぎるというわけではなくて、「真面目に本気で考えたものは面白い(成果が出ている)」ということです。むしろ、そのテーマを表現するスキルと練習量で面白さが決まるような気がすると思っていました。
お笑いの「センス」は誰にでもあって(望めば手に入って)、それを伝え切ることだできるようになるまで鍛錬する「努力」が誰にでも手に入れられるものではない(望むだけでは手に入らない)気がします。
だから、これって、論じる意味あります?
これって、人生30年余りを生きてくると「答え」な気がして、なんだか胸がキュッとします。
才能がない、なんて人はいない気がします。
今回のM-1にも多くのニューフェイスが参加していました。大学生の頃はエントリー数は3000組くらいだった気がしますが、今回は7000組を超えているそうです。多くの人が参加しますが、上位までやってくるのは結局「努力ができた人」なのだと思います。
今年のウエストランドのネタの中に、
「お笑いを分析しているお前ら」とありましたが
私も矛盾した存在として、首がもげるほど同意して、大笑いしました。
努力を知らない奴に分析されてたまるか
大好きだから全てを知った気になって分析したい
実力もないくせに分析するな
分析ができるくらい自分は精通している
自分の中の矛盾を感じながら、本当に本当に、面白かったです。
タイタンが、お笑い界のティーターン、巨人になった1日でした。
(私は男性ブランコのファンです)
と、しっかり論じたところで結びとします。
22通目 誕生日
私とあなたの誕生日は、二日違いなのです。ご存知でしたか?
あなたより二日早く、一つ歳をとりました。
そのズレた二日間、私はあなたより歳上のお姉さんだったわけです。
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私は、あまり手紙を、書かなくなりました。
それは、夏頃の私と、今の私が、まるで別人のように考えていることが変わってしまったからです。
相変わらずあなたは職場で四苦八苦しながら、趣味のプロレス観戦に時間を割き、大好きなラジオに癒しを求めているようです。
note、読んでいます。
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25歳ころに、よく飲みに行っていた、SNSで知り合った少し歳上の女性がいました。
私から見れば彼女は「女の子の王道」を行くような子で、恋愛やファッションに興味があり、おしゃれなお店でワインを飲むことが好きなようでした。
私とはきっと、ほんの少し心の距離があって、飲み明かすのに良い相手くらいにしか思われていなかったと思います。二人ともかなり飲むので。
その彼女が、この2、3年でアロマンテイックを自称しています。
性自認は全て自称であるべきだと思うし(必ずしもその判断すら容易ではないが)、彼女が言うのならそうだと思います。
でも、私は彼女はがしてきた異性を相手とする過去の恋愛を、偽りやお試しだとは感じませんでした。
人は変わる。
かなり根源的な部分ですら。
そうなのでしょう。何か彼女の中に変化があったのでしょう。
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話しは戻って、彼女への手紙としてしたためているこの日記も、思考がかなりオープンになってきたと思います。
一通目や二通目を読み返すと、世界が「私とあなた」に終始しており、クローズドな世界だったことがわかります。
あなたはこの半年で、バテたりしながらも日々の暮らしを転ばずに続けています。必要なものは全て持っています。
この半年以前もきっとそうだったのでしょう。
これからの半年もきっとうまくいくでしょう。
誕生日を迎えた私たちは、次の誕生日に向かってゆるゆると続くでしょう。
足るを知る、そう、足りている。
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それでもなお欲しいと願うことが、活力というやつなのかもしれません。
番外編 キマってる二人
会社の同期と久々に会うことになった。
というも、この同期かなり長い間休職しており、久々に浮上してきたのだ。かくいう私も休職していた。
私も彼女も、ウキウキした気持ちに処方薬の効果が乗っかって、かなりの躁状態。
カフェで2時間ほど近況報告し合った後、隅田川を散歩しながら、下流へ下流へ、5時間だべった。
5時間…
あっという間だった…
久々に会った同期の、「会わなかった間のエピソードトーク」がはちゃめちゃに面白くてずっと大爆笑していた。
特に、「婚活アプリで同じ省内の人とマッチングしてしまった話」が面白かった。
アプリ内でのやり取りでは気づかなかったが、初回デートの帰り際に、先方からおそらく同じ職場だと告げられたが、その後も複数回デートし、そのうちにかなりしょっぱい展開になったというものだ。
特にキツいのが、愛車で望まぬ送迎を勝手にしてきて、それを恩に着せてくるところだ。
「乗せてってあげたのに」
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会社を先月末で辞めた。
職場で「女性らしさ」を搾取され、無償労働することに目を瞑れなくなったのが原因か、心労で休職し、そのまま辞めた。目を瞑れなくなってというか、その無償労働をする体力がなくなって、という感じだ。
もちろんそのまま辞めた、と言うのはぱったり音信不通などではなく、正式な方法に則り、良識ある手順を踏み、常識的挨拶などを経て、辞めた。
退職します、と告げると
何も聞いてこない
原因は?と聞いてくる
次の仕事は?と聞いてくる
の3パターンであった。
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ところで話は戻って、その同期と話していて感じたのだが、彼女は日本の教育理想像的観点でいう優等生で、学歴や保有資格的に申し分のない人材である。
そして、我々と同じ職場で働くという彼(部署は違うが)もまた、そう言う意味では不足のない人物である。
しかし、ふたりのLINEのやり取りを見せてもらうと(デジタルタトゥーって怖いね!笑)、外野としてはかなり納得のいかないやり取りをしており、もう「自我がすごい!」というか、こんなにも他人に自分を押し付けられるものなのか…と、感心してしまうくらいであった。
二人だけのメッセージのやり取りであるから、密室でのコミュニケーションと言えるわけだけれども、自分の要求が相手にどう思われるかのかを推敲することが欠けているようだった。
そう、LINEなどのタイムレスなコミュニケーションって、「推敲」の隙がないよね。
例えば、件の彼は突然彼女が欲しいと話していたものの画像をポンっと送信してきていたりして、それが何を意味しているのかは一切記載せず…
その画像はネットの拾い画や、パンフレット画像などではなく、明らかにその彼が購入し、手中におさめている、というものなのだけれど、それはつまり長年「無償労働接待」を社会という場で女としてやらされてきたものならばピンときてしまうヤツで、
「プレゼントとして購入したよ!嬉しいでしょ?喜んで!そして褒めて!欲しいですと言え!」
というヤツなのだ。
まず、会話の中で欲しいモノとして挙げたそれを、「買って欲しい」とは頼んでいない訳だ。
加えて、付き合ってもいない(まあマッチングアプリで出会っている以上交際前提ではあると言えるが)人から突然のプレゼントは荷が重い。
さらに、画像だけって…一言「プレゼントしたいと思って買いました!」などあればギリギリ先走りという可愛げということで納得できるものの…
こちらからの驚嘆、喜び、感謝の接待を無意識で要求していることを自覚しているのか…
こういうふうに書くと、嬉しくないならそう言えよ!なんて言われそうだけれど、社会人として、それはできなくない?
職場が同じで、体格差があって、メッセージから察するに、コミュニケーションベタっぽくて…
そんな相手に素直に本当の気持ち言うの怖くないですか?
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テンションがずっと上がったまま、大爆笑しながら、わーわーお喋りするの、めちゃくちゃ楽しかったけど、めちゃくちゃ体力使った。
そして落ち着いていま、その時の話振り返ってたら、今度はジワジワとムカついてきている。私には全く関係ない人のやったことなのに。
もう、気づいてしまっている私には、それを素通りできないのだ。
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目が冴えている
心の目が、ずっと、冴えている
番外編 おいしいごはんが食べられますように
「おいしいごはんが食べられますように」著:高瀬隼子
食べ物に関する投稿だと思って、読みに来てくださった方、申し訳ありません。本投稿は同名小説を読んだことに関連する雑記です。
ご存知のとおり芥川賞を受賞した本作を、受賞の判明した時点で、地域の図書館に貸し出し予約しました。もちろん興味本位ですが。
やっと手元にやってきたのが(貸出順位が200人以上だったので笑)、昨日の夕方。
そして、今朝読み終わりました。
正確には、今朝だけで読み終わりました。全体の分量が少ないこともありますが、一気にワーっと読んでしまいました。
まず、端的に二択で読後感を述べれば「よかった」という感じです。面白い!より、よかったという感じ。でも、「よかった」では、爽快感や幸福感が強めのイメージを抱かせてしまいそうなので、それは違うと書き添えておきます。
確実に言えるのは、「読みやすく、簡潔で、もちろん面白いので、お勧めする」ということなので、ぜひ未読の方はお読みになってください。
ここからネタバレ込みで、思ったことなどを書くので、ご注意ください。
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「職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。」
↑コレは本作を検索して、講談社HPに掲載されていたあらずじです(そのまま引用です)。設定や状況の詳細は置いておいて、もうこれだけなのです。そう、これだけ。これだけなのにどうして色々人は考えちゃうんだろう、という部分がサクサクと書かれています。
私は元来、古めかしい文体や、状況説明や風景描写の多い文学作品が好みなので、その意味では、本作は「いつも読んでいるものと違う」作品だったのですが、それを足枷に感じることなく、爆速で読み終わりました。
登場人物は10人程度ですが、主に前述のとおり二谷(中堅男性社員)と芦川(中堅だがひ弱で「女性的」な女性社員)と押尾(芦川の後輩だが仕事ぶりは芦川を越える女性社員)の3名の物語です。
本作のファンには怒られてしまいそうですが、本当に乱暴にあらすじを書くとしたら
・異動でやってきた二谷は職場で2名の女性と懇意になる
・二谷と芦川は、周囲からもお似合い(むしろ適齢期)として捉えられている
・二谷は元来、芦川のような「女性的」な人を過去、交際相手にしてきていた
・芦川は職場で、ひ弱であることも影響し「守ってあげなければならない人」と無意識的に認識されている
・芦川は職場で「女性」の役割を引き受けている
・芦川はお菓子作りが得意で、早退をした翌日などには手作りお菓子を皆に振る舞っていた
・二谷は芦川と交際することになるが「食事」に関する考え方の違いに不快感を感じている
・芦川の心理描写が本作にはほとんどない
・押尾は、病弱で早退する芦川の尻拭いをしている
・押尾は職場で「元気で強い女」だと認識されている
・二谷と押尾は非常にさっぱりとした関係で、残業後によく「食事」を共にしている
・押尾は少なからず、二谷に好意を抱いてはいる
・二谷ははっきりと認識していないが、押尾に好意的ではある(愛しているという類のものではない)
・二谷も押尾も、職場の皆が芦川を「ひ弱なので守ってあげなければ」と思っていることに違和感を感じている
・二谷はある時から芦川が作ってくる「お詫びの手作りお菓子」を、残業後に破棄するようになる
・二谷はお菓子を破棄するとき、ぐちゃぐちゃに踏み潰したりしている
・その一方で、二谷と芦川の交際は順調で二人で「食事」をすることが主だった。
・二人の交際はパートの原田を中心に、職場のほとんどの人間が、察していた(知っていた)
最終的には、「芦川のお菓子を破棄している人間が職場にいることを上司やパートが気付き、それを糾弾された押尾が職場を去ることになる」という流れで物語は最後を迎えます。
ここまでを読んで、誰かのことを「悪い奴」だと思ったでしょうか。「かわいそう」だと思ったでしょうか。「これは私だ」と思ったでしょうか。
(書き方に、私のフィルターがかかっていますし、職場の背景などを書いていませんので、作者の意図は明瞭に伝わっていないかもしれませんが)
私は、まず、最後まで読んで、主要登場人物の3人について「全部自分だ」と思いました。内面的な部分も、状況としての経験もです。
私は、新入社員のころ会社の花形部署に配置され、最も激務と噂される仕事をこなしていました。男性社員と同じ仕事量でしたし(肉体労働ではありませんでしたし)、むしろ女性視点で新しい提案を、などと言われ、抱えていた案件数だけで言えば男性よりも多かったと思います。力量は個人個人でバラバラなので、成果については定量的に判断できないことも多かったのですが、少なくとも「か弱い女性なので配慮対象」ということはなかったと思います。その時期、同じ部署に甲状腺の持病があり、時折就業が困難になる女性がいました。早退や欠席も少なくありませんでした。
結婚するならこの人かもな〜なんてぼんやりイメージしていた人と付き合っていた頃、仕事や収入、身長や学歴、スペックと言われるものには一つも不足がなかったけれど、いつも何か分かり合えない「壁」があって、その部分に違和感を感じていましたが、別れを選択することはありませんでした。その一方で、職場に気の合う男性がいて、その人と話しをしている方が楽しかったのを思い出します。これは恋愛感情とは別のものでした。
(結局その時の彼とは別れましたが)
体調を崩し転職をして、緩やかな働き方を覚えました。仕事は自身の力量に見合った分だけこなし、そもそも求められる以上に頑張る必要はないのかも、と考え出した頃。職場で「女性」の役割を求められることが増えていることに気がつきました。飲み会では周囲を盛り上げ、男性を立てる。無償の接待をなんとなく要求されていることに気がつきました。仕事でも些細な気遣いを常にしている自分がいました。文具が切れているので発注します、お客様のご案内しておきましょうか、お子さんかわいいですね羨ましいです。分担・担当以上の頑張りはしていなかったかもしれませんが私は決して補助要員ではなく一社員として同僚と同じ業務を担当していました。端的に案件数や成績で言えばむしろ彼らを上回っていました。
この作品を読んで、いわゆる会社員をしたことがある人は何かしら自分にもシンクロする部分をこの3人の中に見たのではないでしょうか。
そこで、どう思うかは千差万別で、私は全員に同情しましたし。
作品全体に漂う「暗黙の了解」や「無意識の意識」「同調圧力」がとても嫌な感じなのです。文中に時折登場する、口の中の生クリームの描写が、まさに「それ」のようだと感じました。
集団で同じ目標に進むということの中で、その組織を大きくしていくことはままあることで、そうすると異なる個性を持った人間同士、歪みや澱みは生まれるものだと思います。
風通しの良い職場のために思ったことはなんでも言い合う!みたいなスローガンは一見、明朗闊達、とても良いものに感じられますが、それを実践することで誰かが譲歩することになる。多数決には少数派がいる。人は、全員同時には幸せになれないことを思い出します。
みなさんはどう思いましたか。
全ての人が「おいしいごはんが食べられますように」と願ってやみません。
番外編 朝ドラで一目惚れ
今週のお題「人生変わった瞬間」について書く。
私は、建築士である。
とはいえ、建築士の資格を持ったものはこの世に思ったより多く存在しているもので、名のある建築士は知ってのとおり一握りだ。
私は無名の、いち企業戦士建築士である。
さらにいえば、その仕事に嫌気がさして「設計」の仕事をしないための転職をしたくちである。(転職に資格は活かしたのだが・・・)
さて、本題に戻って「私の人生変わった瞬間」は1998年のNHK朝ドラ「天うらら」のワンシーンを見た瞬間だ。
小学4年生か5年生の時である。
主人公は大工職人を目指す女性で、その女性が実家の工務店を「図面ケースを背負って颯爽と飛び出していくシーン」があった。(多分現場にでも行ったのだろう)
私はそのシーンのかっこよさに、一瞬で一目惚れをしてしまい、よく知りもしない「設計士」になりたいと思った。
そこからは、すべての事象がその夢を後押ししているように感じられた。
例えば、私は元来割に器用な方で、図工や絵が得意であったし、国語や社会科より算数や理科のほうが好きであった。実際に得意でもあった。
でもデスクで図面を引く姿に憧れたけれど、それで「なにを作りたいのか」は全く見えていなかった。
そんなおり、これまたテレビで「サグラダファミリア」の特集を見て、外尾悦郎氏が石を掘る姿を見た。
これだ!!と安直に閃き、私は「設計士」から「彫刻家」になることに憧れるようになる。
小学校を卒業する頃には、すっかり「彫刻家」になるためには美大・・・などと子供ながらに一丁前に考えていたのだが、中学の三年間で「思春期・現実視・経済観念」などの思考から「彫刻家では食っていけないのでは」などと考えていた。
高校に入学してみると、「設計士」という仕事が建築物に特化し、資格化された「建築士」という仕事があること、自分の成績が理系の大学への進学に有利であること(美大への進学については自分の実力を定量化できなかった)などを知るようになり、あとはもう猪突猛進、サクッと建築を学べる大学へ進学を決めた。
その後も、小さな発見を繰り返しながら自分の進路への考えをブラッシュアップしていくことになるのだが、私は、あの朝ドラをチラ見した一件で、「自分の夢を探す」という魅力的でもあり、ひどく悪路であるその道を歩まずに済んだ。
これが、良いとか悪いとかいう話しではない。
ただ、私は「夢が見つからない葛藤や苦悩」に時間を取られることがなかった。こういう葛藤を経験した方の方が人生に厚みがあるかもしれないが笑
人は、好きなことを仕事にできる人、できない人、しない人、したい人がいると思う。
また、好きなことを仕事にしてよかった人、後悔している人、なども様々だと思う。
私は、10歳頃から24歳まで、建築に興味を持ち、その後実務として人生を伴走した。
たった一瞬、テレビで見た女性設計士に憧れて。
私は、私に似合う仕事を見つけたと思う。一瞬で。
「人生変わった瞬間」の直感は、「間違いない」のだ。