ayan_no0の日記

0番目のあやん 手紙というかたちの日記

番外編 おいしいごはんが食べられますように

「おいしいごはんが食べられますように」著:高瀬隼子

 

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食べ物に関する投稿だと思って、読みに来てくださった方、申し訳ありません。本投稿は同名小説を読んだことに関連する雑記です。

 

ご存知のとおり芥川賞を受賞した本作を、受賞の判明した時点で、地域の図書館に貸し出し予約しました。もちろん興味本位ですが。

 

やっと手元にやってきたのが(貸出順位が200人以上だったので笑)、昨日の夕方。

そして、今朝読み終わりました。

正確には、今朝だけで読み終わりました。全体の分量が少ないこともありますが、一気にワーっと読んでしまいました。

 

まず、端的に二択で読後感を述べれば「よかった」という感じです。面白い!より、よかったという感じ。でも、「よかった」では、爽快感や幸福感が強めのイメージを抱かせてしまいそうなので、それは違うと書き添えておきます。

 

確実に言えるのは、「読みやすく、簡潔で、もちろん面白いので、お勧めする」ということなので、ぜひ未読の方はお読みになってください。

 

 

ここからネタバレ込みで、思ったことなどを書くので、ご注意ください。

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職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。」

↑コレは本作を検索して、講談社HPに掲載されていたあらずじです(そのまま引用です)。設定や状況の詳細は置いておいて、もうこれだけなのです。そう、これだけ。これだけなのにどうして色々人は考えちゃうんだろう、という部分がサクサクと書かれています。

 

私は元来、古めかしい文体や、状況説明や風景描写の多い文学作品が好みなので、その意味では、本作は「いつも読んでいるものと違う」作品だったのですが、それを足枷に感じることなく、爆速で読み終わりました。

 

登場人物は10人程度ですが、主に前述のとおり二谷(中堅男性社員)と芦川(中堅だがひ弱で「女性的」な女性社員)と押尾(芦川の後輩だが仕事ぶりは芦川を越える女性社員)の3名の物語です。

 

本作のファンには怒られてしまいそうですが、本当に乱暴にあらすじを書くとしたら

・異動でやってきた二谷は職場で2名の女性と懇意になる

・二谷と芦川は、周囲からもお似合い(むしろ適齢期)として捉えられている

・二谷は元来、芦川のような「女性的」な人を過去、交際相手にしてきていた

・芦川は職場で、ひ弱であることも影響し「守ってあげなければならない人」と無意識的に認識されている

・芦川は職場で「女性」の役割を引き受けている

・芦川はお菓子作りが得意で、早退をした翌日などには手作りお菓子を皆に振る舞っていた

・二谷は芦川と交際することになるが「食事」に関する考え方の違いに不快感を感じている

・芦川の心理描写が本作にはほとんどない

・押尾は、病弱で早退する芦川の尻拭いをしている

・押尾は職場で「元気で強い女」だと認識されている

・二谷と押尾は非常にさっぱりとした関係で、残業後によく「食事」を共にしている

・押尾は少なからず、二谷に好意を抱いてはいる

・二谷ははっきりと認識していないが、押尾に好意的ではある(愛しているという類のものではない)

・二谷も押尾も、職場の皆が芦川を「ひ弱なので守ってあげなければ」と思っていることに違和感を感じている

・二谷はある時から芦川が作ってくる「お詫びの手作りお菓子」を、残業後に破棄するようになる

・二谷はお菓子を破棄するとき、ぐちゃぐちゃに踏み潰したりしている

・その一方で、二谷と芦川の交際は順調で二人で「食事」をすることが主だった。

・二人の交際はパートの原田を中心に、職場のほとんどの人間が、察していた(知っていた)

 

最終的には、「芦川のお菓子を破棄している人間が職場にいることを上司やパートが気付き、それを糾弾された押尾が職場を去ることになる」という流れで物語は最後を迎えます。

 

ここまでを読んで、誰かのことを「悪い奴」だと思ったでしょうか。「かわいそう」だと思ったでしょうか。「これは私だ」と思ったでしょうか。

(書き方に、私のフィルターがかかっていますし、職場の背景などを書いていませんので、作者の意図は明瞭に伝わっていないかもしれませんが)

 

私は、まず、最後まで読んで、主要登場人物の3人について「全部自分だ」と思いました。内面的な部分も、状況としての経験もです。

 

私は、新入社員のころ会社の花形部署に配置され、最も激務と噂される仕事をこなしていました。男性社員と同じ仕事量でしたし(肉体労働ではありませんでしたし)、むしろ女性視点で新しい提案を、などと言われ、抱えていた案件数だけで言えば男性よりも多かったと思います。力量は個人個人でバラバラなので、成果については定量的に判断できないことも多かったのですが、少なくとも「か弱い女性なので配慮対象」ということはなかったと思います。その時期、同じ部署に甲状腺の持病があり、時折就業が困難になる女性がいました。早退や欠席も少なくありませんでした。

 

結婚するならこの人かもな〜なんてぼんやりイメージしていた人と付き合っていた頃、仕事や収入、身長や学歴、スペックと言われるものには一つも不足がなかったけれど、いつも何か分かり合えない「壁」があって、その部分に違和感を感じていましたが、別れを選択することはありませんでした。その一方で、職場に気の合う男性がいて、その人と話しをしている方が楽しかったのを思い出します。これは恋愛感情とは別のものでした。

(結局その時の彼とは別れましたが)

 

体調を崩し転職をして、緩やかな働き方を覚えました。仕事は自身の力量に見合った分だけこなし、そもそも求められる以上に頑張る必要はないのかも、と考え出した頃。職場で「女性」の役割を求められることが増えていることに気がつきました。飲み会では周囲を盛り上げ、男性を立てる。無償の接待をなんとなく要求されていることに気がつきました。仕事でも些細な気遣いを常にしている自分がいました。文具が切れているので発注します、お客様のご案内しておきましょうか、お子さんかわいいですね羨ましいです。分担・担当以上の頑張りはしていなかったかもしれませんが私は決して補助要員ではなく一社員として同僚と同じ業務を担当していました。端的に案件数や成績で言えばむしろ彼らを上回っていました。

 

この作品を読んで、いわゆる会社員をしたことがある人は何かしら自分にもシンクロする部分をこの3人の中に見たのではないでしょうか。

そこで、どう思うかは千差万別で、私は全員に同情しましたし。

作品全体に漂う「暗黙の了解」や「無意識の意識」「同調圧力」がとても嫌な感じなのです。文中に時折登場する、口の中の生クリームの描写が、まさに「それ」のようだと感じました。

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集団で同じ目標に進むということの中で、その組織を大きくしていくことはままあることで、そうすると異なる個性を持った人間同士、歪みや澱みは生まれるものだと思います。

風通しの良い職場のために思ったことはなんでも言い合う!みたいなスローガンは一見、明朗闊達、とても良いものに感じられますが、それを実践することで誰かが譲歩することになる。多数決には少数派がいる。人は、全員同時には幸せになれないことを思い出します。

 

みなさんはどう思いましたか。

 

全ての人が「おいしいごはんが食べられますように」と願ってやみません。