16通目 二人目の彼女のはなし
1通目の手紙に書いた「ひとりめの彼女」と「もうひとりの彼女」のおはなし。
今日は「もうひとりの彼女」について書きたい。
私が、行方を探している「もうひとりの彼女」つまり二人目の彼女は、大学院時代に疎遠になってしまいました。
もう少し具体的に言うと、修士一年生の最後の日に会ったのが最後、そして二年生の初夏に電話で話したのが最後です。
彼女は同じ大学の、同じ学科の同期で、同じ友達グループにいる、長身の美しい人でした。控えめな性格でしたが、多趣味で、特に読書は他の追随を許さぬ読書量でした。
都内のお嬢様学校と呼ばれる女子校出身で、全てにおいて恵まれている部類にいたと思います。弱点のない、悪目立ちしない、誰にも嫌われない人でした。
色が白く、明るい栗毛のロングヘアがよく似合っていて(たまにボブショートにしていましたね)、男性からも人気がありました。
大学に入学した時、男性と交際歴がないと話していましたが、そのあと何人かの男の子があなたに挑戦したことを知っています。誰もその牙城を崩せませんでした。
男女共に友人が多く、授業の課題でもずば抜けるわけではありませんでしたが、いつも高評価でした。単純に座学のテストでも良い成績でした。
大学の間、わたしたちは海外に旅行へ行ったり、国内旅行はもちろん買い物、映画、合コン、お泊まり会…大学生がするようなことはほとんど一緒にしました。
わたしたちは9人グループでした。そのうち二人はのらりくらりと、構内で過ごしており、いつも一緒に行動しているわけではありませんでした。さらにまた一人は他学部の男の子と交際し始めてから、一緒にいる時間が減りました。残る6人のうち、私ともう一人は校外に彼がいて、それぞれ自分の大学の9人組以外の居場所がありました(私はインカレサークルに、もう一人はアルバイトに熱中していた)。
残る4人は穏やかな性格で、大学生になったからといって浮かれるタイプでもありませんでした。そして、私の尋人「もうひとりの彼女」はその4人のうちのひとりでした。
就職活動のおり、9人のうち3人が大学院へ進学することになり、そのなかに私と彼女が含まれていました。同期が就活を進める最中私たちは、院試の勉強もそこそこに(成績が半分より上位だと推薦枠に入れるので正直勉強しなくても大丈夫かと踏んでいたが…)卒業論文、卒業設計(建築学科だったので)、アルバイトをしていました。
進学後、私はやっとやりたいことが自由にできること、興味のない座学の単位に苦しめられないこと、自分で一日のスケジュールを組めること、好きな事務所にオープンデスクにいくこと(インターンのようなものです)、全てが楽しくて、毎日忙しくしていました。
学部生の時のように、友人と同じ時間割ということもなかったので、放課後に誰かと遊ぶ、というタイミングも減りました。(この頃は彼氏ともタイミングが合わなかった)。
誰がゼミ室に来ているのかは、その日登校しないとわかりませんでした。
大学院に進んだ3人のうち、もうひとりの彼女にだけだんだんと会わなくなりました。
登校しても構内で彼女を見かけることはほとんどなくなって、自分とは違うタイミングで来ているのかとも思いましたが、誰に聞いても姿を見ないと言われました。
それでも音信不通というわけではなく、当時は修士一年生の後半で就活をしていましたので、ときたま企業説明会で遭遇することがありました。そんな時は近況報告しあったり、他の企業の話しをしたりしました。元々学校の時間割を、この就活期には減らして調整しておくのです。ゆえに、大学院の数少ない座学授業に出ていなくても、おかしなことはなかったのです。
修士一年生を終える頃、ほとんどの学生が内定を手にしていました。博士進学する人も進路を確定させつつありました(当然「合格」はまだしていませんでしたが)。
その頃に、自身のゼミで全体ミーティングがあり、もうひとりの彼女と私は同じゼミに所属していたので参加をしました。内容は「来年度の座席決め」です。大掃除をして、先輩がいなくなり空いた部分も使って、新たに入学するみんなと座席を決めました。私は植物を育てていたので窓際の上座に決めました。彼女はどこでもいいと言いました。パソコンはみな基本的にノートパソコンを使用し、デスクにはほとんど物を置かないようなフリーアドレス風でしたし、プリンターに近い方が便利だとかそういったことも特にありませんでしたので、単純に好きな場所を選んだだけです。それでも、「どこでもいい」と言うのには違和感を感じました。
そしてその日から、完全に彼女の姿を見なくなりました。また、同期にも彼女の安否をよく聞かれるようになりました。さらに、メールを送っても返事がくることはなくなりました。
だんだん、彼女が卒業する意思がないことを感じ始めたころ、論文要旨を提出する期限がやってきました。わたしの大学では、卒業年度の初夏に論文のあらかたの内容を学校に報告する必要があり、その認定が卒業には必要でした。締め切りが迫る中、様々な人が彼女に連絡をしたと思います。私もメール、電話をしました。友人も先生も連絡をしたと思います。
誰にも返事はありませんでした。
初夏のある日、ゼミの同期とベトナム料理店にいました。論文要旨提出の直前だったと思います。何の気なしに「フォー美味しすぎ。〇〇も来たら楽しかったね、今度みんなで来たいね、誘ってみよっか」という話題になり同期の一人が電話をかけてみました。全員が出ないと思った電話に彼女がでました。
「久しぶり!今みんなで、学校の近くにできた新しいベトナム料理店にいるよ!今度一緒に行こう!」そんなふうに話したら、
「いいな〜、そうだね今度行こうね〜」
こんなふうに答えて、それが最後になりました。
結局彼女は大学院を卒業しませんでした。退学、休学、どちらの手続きもされていなかったと教授には聞きました。その後どうしたのかもわかりません。実家にもお手紙を書いたことがあります。返事はありません。
この大きな東京で、その後、彼女を見かけたこともありません。
人生の節目で彼女を思い出すことはもちろん、夢に見る日もあります。
大学生のとき、彼女の家のそばの川を、彼女の愛犬と散歩したことがあります。力強く引かれたそのリードの力、愛犬の息づかい、鮮明に蘇ります。
まだ川原を散歩しているでしょうか。
傲慢だと分かっていますが、なぜあなたが突然いなくなってしまったのか、理由を知りたいです。
私は今あなたと話しがしたいです。