ayan_no0の日記

0番目のあやん 手紙というかたちの日記

12通目 自分にできないこと

私の周りにはいつも学校教育現場的観点で言う「優秀な人」が友人としていました。私の友人はみんな優秀で、最近の言葉で言えば「陽キャ」とかヒエラルキー上位の人ばかりでした。今でももちろん付き合いがあって、みんな想像どおりの道を歩んでいるように見えます。

 

少しやんちゃだった私を、いつの学生時代も友人たちは大切にしてくれました。「悪く」うがった見方をすれば(そんな日本語ないけど)、やんちゃな人間がそばにいた方が優等生は生きやすかったのかもしれません。それは私も同じだったかもしれません。

 

そんな私達(私と友人たち)の共通点は、みんな「勘が良かった」ことに尽きると思います。別の言い方をすると「空気が読める」とかそう言うものに大別されるのかもしれません。教師に怒られることなどほとんどありませんでしたし、イジメに加担したり被害を受けたりすることも、(実際は無意識下で加害していることもあると思うのですが)ありませんでした。誰かが揉めそうになれば、互いに仲裁してはっきりとした「ケンカ」などしたことがありません。ディベート的な意見の対立はあっても、話し合いのできる人種の集まりだったと思います。

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そういう仲間に囲まれていた私は、あなたに出会った時に友人として関わり合いたいと惹きつけられたのですが、そこに本当は「憧れ」の気持ちがあったのだと思います。人は「自分にはできないこと」をしている人に憧れるものだと思います。

「自分にはできない」と判断している部分については様々で、本当にスキルや能力がなくて不可能なこと。物理的に不可能なこと。社会的な立場の問題で不可能なこと。心情的に不可能なこと。本当はできるけどできないことにしておきたいから不可能なこと。様々な「できない」があると思います。

あなたは、積極的に友人を作るタイプではなくて、趣味の会う人と時折話したり、学校生活に拘らずネットの友人を作ったり、自然な人間関係の中で生きていました。

私は、どうだったでしょう。高校へ入って「めんどくさい病」にかかっていたとは言え、学校生活の中で浮かない程度に「勘を働かせて」友人を作ったり、遊びに出かけたり。普通の女子高生の学校生活を「こなして」いた気がします。

いなしたり、逃れたり、こなしたり、そんなことしないで自然にしていたかった。「素直にできなかった」できなかった?どうできなかったのでしょう。

 

感情の機微を、あの時は自分だけが知っていた機微を、今はもう思い出せません。

 

底知れぬパワーがあった、「勘のいい子供」に戻って、何も見えないまま、無邪気にそれが自然だと信じて、世界の中心にいた、そういうひと時にいまは「憧れ」ながらも、もう戻りたくないと思っています。

 

あなたに手紙を書いているいま、私はあなたがいつも「自分にできないこと」をしている気がして、憧れていたのを再認識します。

 

今日は読書と読書の合間に

 

 

あやより