2通目 あなたのことを語らずに
アクセス数が増えるたび、ひとりめの彼女であるあなたがこのブログを早くも見つけたのでは?とソワソワしてしまいます。
そのときはそっと、メッセージをください。
この手紙で、わたしはあなたを探し出したいのですが、つまり「あ、この手紙の宛先は私だ」と気がついて欲しい訳ですが、前回の手紙をしたためてから気がついたのです。
ここに、「私が探しているのはこんな背格好で歳はいくつ、名前は何某で、出身大学は何処そこ…」などと書けば、ゴールは近そうだけれど、それってとんでもなく間違っている訳です。勝手に人の情報を書き綴っていいわけありません。
だから、私の思い出を書いて、そこに登場するあなたを見つけてもらうしかありません。でもまあ、ぼんやりとあなたのことを語るくらいは許されるかもしれません。
実は私とあなたには、二人だけのエピソードがいくつかあります。それを、私の思い出という視点から書くので読んでくれるのを楽しみにしています。
私はこの手紙を書き進めると、「私をもう一度なぞる」ことになるのではないかな、と考えています。
一社会人の、凡庸な日常の中で、訳も分からず戦う間は、自分の輪郭がボヤけて、例えば、私には子供などいないのですが、子育てに全く協力的でない旦那への愚痴に関するコラムを読んで、感情移入しすぎて腹を立てることがあります。自分が無くなりすぎて、薄く薄く広がりすぎて、全てになってしまっているからです。「全ての存在になってしまうのです。」
だから私は、この手紙を書き続けるなかで、何に感動して、どう悲しんで、どう怒ったか、自分の輪郭がボヤけるのを止めたいとも思っています。
しっかりした、ハッキリとした、クリアな私でまた、あなたとくだらなくて価値ある無駄話しをしたいです。
次の手紙で、出会いの思い出から時系列的に覚えていることを書こうと思っているのですが、その前に。
私は今日も、あなたのTwitterを覗きました。
とても健やかに、私の知らない新しいあなたの趣味について、語っていました。
ああ、新しくこんなことにハマっているのかぁ、意外だなぁなどと思いながらも、その語り口が丁寧で、かつ、くだらないことに言及しており、非常に好感が持てました。懐かしいです。
めっちゃ好き、と思いました。
私も、職場のデスクにあれやこれや、お気に入りのものを並べるの、好きです。
私も、入館カード(首から下げるネームプレートなど)入れには少しこだわっています。
私も、好きなものを見に行くときに他県へ行くことを厭いません。
私も、好きな人の好きなものにハマることがよくあります。
早くおしゃべりしたいな。
話しは変わって、私は今日皇居東御苑へ行きました。
私はあなたと会わなくなって、5年ほどのち、終電まで働く毎日が辛くなって会社を辞めました。すぐ次の職場で働くようになると、週末を自分のために使えるようになりました。体力の回復、週明けの準備だけでなく、私が楽しいと思うことをできるようになりました。
その頃からよく、東御苑へ散歩に行くのです。あそこでは必ず季節の花が咲き、広い本丸そばの芝生に寝転んで雲が流れるのを眺めます。
私にはコレが、サウナの数倍整うのです。
でも今日は「ここでおしゃべりできたらなぁ」とずっと考えていました。
静かにじっと空を見ることが、癒しを与えているのかと信じていたけれど、自分のために自分の時間を過ごしている贅沢が、私を癒していたのだと思いました。だから今の私は、あなたと話すことに時間を使いたいのです。
わざわざ足を運んで、空を見ているだけ、という点も重要な気がしますが。
私は、ひとりめの彼女であるあなたへの印象が、近くにいた他のみんなが抱くあなたへの印象と違っている気がしています。
むかしから、あなたのことを語る幾人かの人たちの言葉にあまり同意できませんでした。
私は、頑張り屋さんのあなたがかく、玉の汗をよく覚えています。
私は、あなたのよく通る笑い声を良く覚えています。
私は、あなたが愚かな者に優しいことを知っています。ときどきそれは誰も救いませんが、みんなを守ります。
次回は思い出を手紙に書きます。
今日は、電車の車内から、今日東御苑で撮った菖蒲の写真を見ながら。
あやより